鵜目鷹目17. 大恐慌と第二次世界大戦前夜

2012年6月15日掲載

第二次世界大戦前のデフレから今日の資産運用へ示唆されること

大恐慌から第二次世界大戦までのイメージというと、1929年10月24日のNY株式市場の暴落によって、大恐慌に陥り、米国はニューディール政策で経済を立て直す一方で、ヒトラーのナチスドイツや日本の軍部の台頭により、第二次世界大戦に突入というものだろう。この米国の大恐慌は当時の世界経済に大きな影響を与えており、各国の脱出に向けての足取りは各々異なる。今回は、この戦前のデフレ状況を駆け足で見ていくと共に、今日の資産運用への示唆を抽出してみたい。まず図1にGDPの推移を示した。

図1 各国GDPの推移

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【図について】
期間は1929年から1939年まで。

【出所】
Aungus Maddisonより野村アセットマネジメント作成

第二次世界大戦前の各国の経済状況について

1929年~1939年にかけて最も成長したのはソ連であった。そして日本、ドイツ、イタリアといった枢軸国が第二グループになっている。連合国の中では、英国が高いが、米国やフランスは39年においてようやく29年の水準に戻った程度であった。つまり第二次世界大戦直前において、「勢い」という点だけに着目すれば、枢軸国やソ連に分があったと言える。

途中過程をもう少し詳しく見ていこう。日本は、29年7月濱口雄幸内閣が成立、同年10月NY株式市場が暴落した中で、同年11月井上準之助蔵相が金解禁声明、30年1月に旧平価(円高に切り上げ)による金解禁で恐慌に突入した。輸出の約4割を占める生糸価格は暴落し、農民は窮乏に陥った。余波は当時の満州にも及んだ。31年9月に満州事変が勃発、同年12月に高橋是清蔵相は就任直後に金本位制を停止して大幅円安にした。これにより輸出が回復していく。また低金利政策により、対満州投資も活発化した。一方、時局匡救費により地方に金が回るようになり、図3にあるように株式市場も活況を呈した。卸売物価(図2)も日中戦争が始まる37年までは緩やかな上昇に留まっている。ドイツは、33年1月にヒトラー政権が誕生した。同年3月にシャハト氏がドイツ帝国銀行総裁になり、のちに経済相も担当して、住宅や建設投資を国債発行によって賄うことで景気を回復させ、軍需主導の需要政策により、36年にはほぼ完全雇用状態をもたらした。

連合国をみると、英国は31年9月21日に金本位制を停止して、いち早く脱出している。一方、米国は30年6月にスムート・ホーレー関税法が成立して経済のブロック化が始まった。その後、銀行倒産が多発し、33年3月にようやく金本位制を停止し、経済は底をついた。また同じ頃始まったニューディール政策による財政支出拡大で景気は回復したものの37年には息切れした。結局、住宅建築は40年の段階で29年の水準に戻していないし、失業率もしかりである。フランスは28年にフランを5分の1に切り下げて金本位制に戻したものの、図2にあるように物価は35年まで下落傾向が続く。翌36年6月に人民戦線政府が成立し、景気対策は労働者・農民寄りの政策をとったものの、今度は急激なインフレをもたらした。ようやく金本位制を停止したのは37年6月であった。30年代に生産力の向上が見られなかったことが、対独戦に敗北する遠因となった。ソ連の場合、28年の第1次5か年計画、33年の第2次5か年計画によって躍進した。

また、スペインは第二次世界大戦では中立国であったが、36年より左派の人民戦線と右派のフランコ将軍率いる反乱軍の間で内戦となり、経済は落ち込んだ。

図2 卸売物価指数の推移

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【図について】
期間は1929年から1939年まで。各物価指数は年平均。

【出所】
石見徹「世界経済史」、日本については東洋経済新報社「完結昭和国勢総覧」より野村アセットマネジメント作成

 

再度、日本に目を向けてみよう。図3は、通貨流通高、卸売物価指数の前年比及び株価指数の推移である。通貨流通高、卸売物価は29~31年まではマイナスであったものの、32年よりプラスに転じ、36年まで共に1桁増で推移した。株価も31年(1月)が底になっている。また、図1のGDPと重ねてみれば堅調な回復がより確認できよう。しかし、37年以降はインフレが加速した。前年の36年2月に高橋是清が暗殺され、それまでの公債漸減主義が放棄され、財政拡大に歯止めがかからなくなり、37年7月には盧溝橋事件、39年5月にはノモンハン事件が勃発、そして、41年12月には太平洋戦争に突入した。37年より通貨流通高は恒常的に20%増となり、卸売物価も徐々に10%近く上昇していく。戦争末期の44年において卸売物価は13.3%上昇した。通貨流通高も43年には41.1%増となり、通貨管理は失敗したと言える。とは言え、株価は39、41年の調整(なお、図の注釈にあるように各年1月の数字であり、実質的には38、40年と言った方がよいだろう)を除き、比較的堅調に推移した。特に高橋蔵相のほぼ在任期間に相当する32~36年の株価は約70%上昇している。ある程度の範囲のインフレが株価に好影響を与えた点は、本コーナー第15回でも取りあげた通りである。

図3 通貨流通高、卸売物価指数、株価指数の推移

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【図について】
各物価指数は年平均より前年比を算出。
株価指数は各年の1月末(1921年1月末=100)、通貨流通高は日本銀行券発行高、朝鮮銀行券発行高、台湾銀行券発行高、横浜正金銀行券発行高、政府紙幣発行高、貨幣流通高の合計。

【出所】
東洋経済新報社「完結昭和国勢総覧」、「昭和国勢総覧」より野村アセットマネジメント作成

今日の資産運用へ示唆されること

2012年2月14日の日銀の金融緩和以降、金融緩和に期待する声は大きい。慎重派は、戦前のように政治圧力を恐れているが、高橋財政のように国債の日銀引受けの一方で抑制的予算支出等の規律をもった運営が肝要であろう。

資産デフレ脱却には、時間がかかる。それは需要不足を正常化させるために、財政赤字や低金利状態を続けざるを得ないからである。また、低成長が続くため、政治変動も生じやすく、これが経済政策にブレを生じさせる。

資産運用においても、各資産のリスクプレミアムも従来と違った動きを見せる。債券は短期金利の低下により、順イールド状態が長期化する。つまり、債券に有利な相場が続く。株式の場合、不安定になりやすいものの、先に触れたように本コーナーの第15回で取り上げたように、ある程度物価上昇率が高い方が回復は早い。また相関については、第1回や第11回でも取り上げたようにそれまでと変化している。

以上を考慮して、資産の組合せの重心を見直せば、分散効果を享受はできる。投資理論が使えなくなったと嘆くのではなく、現象変化を取り込んで工夫していくことが肝要である。